東京を使いこなす|東京のレシピ |

東京について見直していきたい部分があります。 実際、IOCがそれぞれの立候補国を対象に行った世論調査では、東京オリンピックの日本国民の関心度は他のどの国よりも低く、これが誘致失敗の最大の理由という声もあるほど。2008年に同じアジア地域の北京で開かれていた、東京はすでに一度オリンピックを開催している、といった他の要因もありますが、やはり地元民の理解を得られないままでは他の国にアピールするのもままならず、客観的に見れば失敗するのはわかりきったことだったといえます。1964年の東京オリンピックは、日本が戦争の痛手から立ち直ったことを示す絶好のアピールの場であり、世界も伸長著しい日本を国際社会に復帰させることは国際社会の協調を取り戻すうえで大きな宣伝効果がありました。日本国民にしてみても、東京の交通網が整備され、工事などで雇用が拡大し、社会の底上げができれば自分たちの暮らしが豊かになるわけで、オリンピックのような世界規模のイベントは望むところだったのです。
ここでは、ポイントともに、東京について紹介しようと思います。 世界第2位の経済大国という看板は廃れ、長引く不況で日本の経済は疲弊するばかり。オリンピックのような大掛かりなイベントを開催したところで、今さら雇用が安定するわけでもなく、人々の暮らしが豊かになるというのも絵空事でしょう。むしろ、エコが叫ばれる昨今の事情からすると、オリンピックのような大イベントは環境破壊や交通渋滞の悪化を招き、反発を受けるだけかもしれません。と、ネガティブな考えばかりを張り巡らせてしまいましたが、結局のところ、オリンピックを開催するメリットが見えなかった、というのが正直なところ。
こうして、東京について考えるのはなぜなのでしょう。 湿地帯を埋めるために山を切り崩し、あるいは武家の屋敷を建てるために広範囲に土を盛る。新田開発のために開墾し、不要になった土が一か所に積まれていく、ということもあります。元々の地形もありますが、そうした数十年、あるいは数百年に及ぶ江戸市街の土木工事の結果が、これだけの坂を作りだしたのだと思われます。皇居東御苑の北方にあたり、国立近代美術館があるあたりの大きな坂です。
東京について、どこかに役立つヒントが見つかるかも知れません。 今の風景を目に焼き付けておき、数年後にこの坂を上って振り返ってみれば、記憶と違う東京の景色を見ることができるかもしれません。皇居を離れ、東京の、というか日本の中央機能が集結する霞が関に目を向けると、まさにその名を冠した霞が関坂という坂があります。位置としては、国道一号線の桜田通りにある霞が関一丁目交差点から六本木通りへと向かうところ。総務省や警察庁、国土交通省や外務省などが並ぶ中央官庁街の一角です。
あなたなら、東京についてどう考えるでしょうか。 日枝神社を離れ、赤坂方面へ向かってみると、別名を達磨坂ともいう諏訪坂があります。青山通りの富士見坂の坂上から、紀尾井町方面へと続く坂道で、その名の由来は諏訪氏の邸宅があったことから。別名の達磨坂というのはかつて紀州藩の屋敷があり、その表門の柱にダルマのような木目があったため、人々がいつからか達磨門と呼び、坂にもその呼び名が定着したというものです。『紀尾井』というのは紀伊徳川家、尾張徳川家、さらに譜代大名のなかでも筆頭格であった井伊家の屋敷があったから。
東京についてもっと知っていただくために、さまざまな情報を集めてみました。 大正時代の区画整理の折に本郷通りが作られ、その影響で坂が分断、以降、紅梅坂と幽霊坂になったのだといいます。なぜこの名がついたのかというと、元々紅梅坂自体が幽霊坂と呼ばれたことがあり、それは周囲に樹木が生い茂り、昼でも夜のような静寂さがあったため。東京のど真ん中で今さら静寂も何もあったものではありませんが、昔からの名称がそのまま伝えられているというのは、ある意味、坂冥利に尽きるというものでしょうか。さて、千代田区の坂はこれくらいにして、次にやはり東京のなかで繁栄著しい港区の坂を確かめてみます。